味園ユニバース
復活上映があるとのことで、チケットを取って行ってきた。
タイミングが合わず、まだ見たことのなかった味園ユニバースを映画館で見れるのは幸運なことだなぁと思いながら、でもこれは、すばるがいなくなってしまうから上映されるのだろうなぁなどと、複雑な気持ちだった。
あれから、1ヶ月が過ぎて。
私はまだ、何も受け止められないままだった。
すばるがいなくなるなんて冗談だと思ってしまうし、まったく現実感がない。
でも、やはりその恐怖は現実にあり、関ジャニの曲を聴くことはおろか、番組を見ることも、Twitterを見ることも出来なくなっていた。
関ジャニ∞から渋谷すばるがいなくなるなんて、そんなことあっていいわけないもんなぁと、少しおかしくなってる頭で何回も思う。
そんなこと、あってはならない。
私たちの愛するあのグループの赤色がなくなってしまうなんて、あってはならないことだ。
バンドの真ん中に立って歌う彼の姿がなくなってしまうなんて、あってはならないことだ。
そんなことを、毎日思っては、いやいやでも、すばるにはすばるの人生があるのだからと、妙に諦観した自分もいた。
そんな中で、味園ユニバースの復活上映が難波で見れる。
行かなくては、と思った。
妹が先に、この映画を見たときに、冒頭で涙が出たと話していた。
アカペラで、すばるが赤い日記を歌うあのシーン。
ドキドキしながら上映が始まって、坊主頭に近いすばるをスクリーンで見て、まだ数年しか経ってないのに懐かしいなぁと思った。
そして、あのシーンが来た。
心臓を、直接握られたかと思った。
叫びのような歌声は、本能的に、人の心を揺さぶる。
涙が、出る。
こういうことだったのか。
ツーッと流れた涙の理由はわからないけど、人の心を捕まえるのに十分な歌を、すばるは歌っていた。
話が進むにつれ、記憶をなくしたポチ男は可愛く、どこか悲しかった。
たくさんの曲を次々に歌っていく姿に、ぼたぼたと涙が出た。
好きだ。
渋谷すばるの歌が、好きだ。
素直にそう思う。
贔屓目だと言われても、唯一無二だと思う。
だからこそ、だからこそ。
仕方がないのだなぁと、思った。
彼は、歌を歌わなければならない人間だ。
なにかを強烈に全うする為に生まれてきた人と言うのを、私はなんとなく信じていて、彼は間違いなく、歌を全うする為に生まれてきた人だと思った。
歌と生きて、歌と苦しんで、歌と死んでいく。
その人生は過酷であるし、世に言う真っ当な幸せとは遠くにあるのかもしれないけれど、それでも彼はそれを生きる意味とするのだろうし、そうあるべきだと思った。
悲しくて、寂しくて、悔しくて、どうしようもないのだけれど。
でも、音楽が、歌が、渋谷すばるを連れて行ってしまうことに、もう抗うことは出来ないのだと、思い知らされてしまった。
だから、もう、仕方がない。
嫌だと逃げる場所など、どこにもない。
だからもう、どこに行ったって、なにをしていたって、あの人が音楽を、歌を、全うしてほしい。
その場所が、関ジャニ∞でなかったことはとても悲しいけれど、でも。
関ジャニ∞の渋谷すばるは間違いではなかったと、あの人の歌は教えてくれる。
愛情を増し、感情を増し、深みを重ね、続いていく音を、信じたい。
奇しくも、上映場所のTOHO難波は味園ユニバースにほど近く、帰りに少し寄って、その姿を収めてきた。
叶わない夢かもしれないけれど、いつかこの場所で、すばるの歌を聞ける日がくればいいと思う。
今週末にはツアーの当落が出る。
6人になってはじめてのツアーが、ココロオドルものになりますように。
チケットが当たりますように。
ただただ、祈る。